新大学で研究室環境を維持するために

取り上げようと思いつつすっかり遅くなったが,いつも読んでいるブログで以下のエントリーが注目され,多くのコメントが付いている。

湯水のように研究費を使えるところと年間数万円しかなく私費を投じても思うように仕事ができないところ。任期制で研究どころか生活さえ成り立たない若手研究者と既得権のある終身雇用世代の研究者。もちろんそれは学生指導という点でも大きな格差があることを意味している。
派遣切りなど非正規雇用問題がクローズアップされ,正社員の立場も脅かされるという現実は大学という場も例外ではないということだろう(今後大学が淘汰されれば終身雇用研究者だって危うい)。
大学の研究・教育に誰がお金を出すのか(自助努力で公的資金以外の外部資金を導入することも含めて),あるいはそのお金を受益者がどのように活かし出資者や社会に対して説明責任を果たしていくのか,厳しく問われていると言っていい。
その点については,ネット時代においては今日届いたメールマガジン

にあった記事,

が大きな意味を持つと考えている。
金銭以外にも大学という場にいることは,その肩書きがなければできない仕事を引き受けられたり,学生・院生の協力(「脳」という地の沃野)を得て仕事を進められるという「特権」に恵まれており,それを最大限活用する責務がある。
さて,冒頭のブログのコメントに匿名ながら研究費の実例が書き込まれているが,各大学の研究費などはどこかに資料があるはずで,知っている人はみな知っている。本学の場合は分野にもよるが,私の場合は備品・消耗品・旅費を含めて年間約40万円というところだろうか(他に全学的な備品費があるがなかなか順番が回ってこない)。ここ数年はやりくりして学生用のパソコンを1台更新するのが通例で,あとはコピーや文具代など雑費で消えてしまう。
PCとネットで仕事をするようになったのも高価な機器・試薬・ソフトウェアが買えないという背景があった。ただそれを隙間産業的に始めたのが早かったので(けものみち。今は大手も参入してきて厳しくなる一方)上記の「特権」のお陰もあって(その「特権」を使わずにできることも多々あるが),上記年間経費の数倍を使って活動することが可能となっている。新大学の学生たちが学び研究する上で困らないように,今後もそのような環境を維持し続けたいと考えているところである。
以下の写真のように私の研究室・演習室が入る予定の校舎もできつつある。そのようなスペースを与えられるのも「特権」であり,今後入学してきてくれる学生と一緒になってどのようにその恩返しをしていくか,作戦を練り続けたい。


冬の日差しを浴びる改修工事終了間近の2号館
(2009/01/28撮影)