中島秀人さんの「日本の科学/技術はどこへいくのか」から再度

2006/02/26に取り上げた,

が今朝の朝日の書評欄に載っていた。評者は鷲田清一さんで近日中にWeb版にも転載されるだろう。

書評の最後では“科学者・技術者と市民との公共的な討議”と“「媒介の専門家」の養成が急務”とする著者の主張を引用していることは,私の記事と共通するところである。
ところで中島さんの本の中には,ある女子大学に出講していた時に物理学で受講者の予備知識を調べるために「加速度」と「エネルギー」の計算をさせたら初歩的な計算ができず(これがわからなければ建築構造計算もできないしエネルギー問題の本質も語れない!),それではとレオナルド・ダ・ヴィンチの話をしようと「メディチ家」の話をしたらこれも通じず,頭を抱えたという話が出てくる(pp.4-5『破壊される知性』)。
大学はそれまでに学んできたことに更なる知識や技術などを積み重ねていく場であるから,その礎となるものがなければ一歩も前に進めない。私も近年は高校までの教科書を読み直すように再三話すのだけれど,どれだけの学生が実行してくれていることか。
2005/12/27には,“高校までの理科教育は「なかったもの」として考える”とする北海道大学における理科分野教育の出発点に触れたが,新しい新潟県立大学ではどのようなことを学生に学んでもらい,そのために学生たちに高校までに何を学んできてもらうのか,明確なメッセージを提示しておく必要があると考える。