大学の存在意義をどこに見出すか

上で保留した高知県在住者さんからのコメントには,“地域振興事業は長くて10年程度の事業ですが、高等教育は半世紀スケールの事業”という鋭いご指摘あります。
当事者である将来の入学者が現実的には事業に参加できない以上,設置者と実動側である教員スタッフの責任は大きなものがあるでしょう。特に当事者である学生と直接接する教員は,矜持を持ってことにあたる責任があると言えます。
長期的スケールで考える場合,大学という存在の歴史を知ることも欠かせません。私自身が大学を卒業して教員になる時,あるいはその後も,いろいろな先生に読むべき本を教わったり議論を戦わせてもらったりしてきました。
手軽な本としては,
キャンパスの生態誌―大学とは何だろう (中公新書)

  • 潮木守一,「キャンパスの生態誌 大学とは何だろう」 ,中公新書(1986)

があって,20年前の本なのにまだ売っているのはそれなりの支持があるということでしょう。教員と学生が一緒になって実験に没頭するという手法を始めたのがリービッヒ*1だというよく知られている話が出ています(最後にはどんでん返しの話も出ていますが)。なお,リービッヒはBSEにつながるレンダリングの普及の努めたことでも有名です。
Wikipediaで大学について見てみましょう。

大学や学校ができて学問を教えることが職業になる以前は,大道芸だったり他の職業を持った上での余技だったりしたわけですが*2,大学の起源としてイタリアのボローニャ大学の名前があげられています。これは,

にも出ていて,そこには以下のような興味深い記述があります。

    ボローニャ大学の学生は,故郷を遠く離れたものが多く,イタリアに頼れるものがなかったことから,生活の安全と相互扶助を目的としてギルドをまねた団体を結成した。下宿生である彼らは,大家(ボローニャ市民)の部屋代値上げに反発し,市当局と交渉し,部屋代引き下げの要求が聞き入れられないならば他の地に移ると脅かした。これは当時の大学には決まった校舎がなく,学生がその気になればどこにでも大学が移せたことが前提となっていた。やがて学生たちの要求は教授たちにも向かっていった。「教師は学生の許可なくして講義を休んではならない」「教師は始鈴とともに講義を始め,終鈴とともに退出すべし」「難問題を説明不能のまま退出するな」など興味深い要求を突きつけている。こうしてボローニャ大学は学生中心の大学のモデルとして広く知られていくのである。
つまり,大学の出発点でも主人公はあくまで学生だったわけで,そのことに大学が認識しているか否かは,大きな問題です。これについてはたまたま昨年科学技術社会論学会第4回年次研究大会名古屋大学で開かれた際,懇親会の乾杯の音頭をとってくれたのが同大学のOGで,ご自分が学生だった時はカリキュラムを学生がチェックするシステムがあったという話をしてくれたことと呼応します。
そんなことなどを考えると,今やらなければならないことは無数にあるような気がして,高知県在住者さんの分析が重くのしかかってくるばかりです。

*1:冷却管の名前に残っている。

*2:私がWebでやっていることは大道芸という原点に戻ったということかも知れないと考えたりしている。

*3:この本は社会科の中での「科学・技術」の歴史や位置付けを知るために入手したものですが,そのことについてはまた後日。