リスクコミュニケーション&コンセンサス会議

今日届いた日本化学会*1の雑誌に以下のような解説が掲載されていた。

  • 織 朱實,『リスクコミュニケーションとレスポンシブル・ケア活動』,化学と教育,2006年1号,pp.34-38

県立大学構想案に『安全』という単語が出てくるが,これは以下でも重要なキーワードの1つになっている。

リスク学事典
環境リスクマネジメントハンドブック
リスクとつきあう―危険な時代のコミュニケーション (有斐閣選書)
そのような状況の中でリスクコミュニケーションやリスクマネージメントは極めて重要な分野となっており,これは企業だけでなく,大学や行政(政府あるいは地方自治体)でも言えることだろう。「化学と教育」という,教員向け雑誌で取り上げられた意味も大きい。
さらに進めて,筆者が例年参加している科学技術社会論学会(STS学会)で,毎年示唆に富んだ報告をしてくださる小林傳司先生*2の以下の著作の目次や書評等を見れば,これからの時代は科学技術の利用方法や政策決定においてはコンセンサス会議などの新しい発想が求められていることは明白である。
公共のための科学技術
誰が科学技術について考えるのか―コンセンサス会議という実験―

現代は科学技術を抜きに人間の生活や政策を語ることは不可能であり,例えばBSEの問題を見ても科学自体も政治とは切り離して存在し得ない。
2006/01/24で紹介した,

の中には以下のような文章がある。

    pp.132-133
     現代文明は科学的知識なしでは成立しません。科学は,現代の人類の「世界知」のど真ん中にあります。たとえば,「ロマンティック」な出来事は,確かに「自分」という立場を離れてはありえませんが,現代のロマンティックは,多くの科学の恵みを吸収して育っているのです。
     恋人とバり島のビーチに旅行すること自体は,ロマンティックなことであり,科学とは関係ないことと思えるかもしれません。しかし少し反省してみると,たとえばインターネットでパックツアーを検索し,予約したり,クレジットカードで決済したり,さらには当日空港に行き,飛行機に乗り,ビーチにたどり着くまで,ありとあらゆる局面で「世界知」を支える骨組みとしての科学および技術のお世話になっていることがわかります。
       《 中 略 》
     昨今の日本のように,情緒的な科学離れが進む事態は,実にゆゆしきことです。「私は数学が苦手」だとか,「科学みたいなことより,私,ロマンティツクなほうがいい〜」とのたまっている人の顔を,私はまじまじと見て,それから静かに諭してやりたいと思います。
     「科学の恵みに感謝して,科学的精神をきちんと育んでおかないと,その肝心な,ロマンティックな生活自体を失う二とになるよ」と。
繰り返し語られている「世界知」と「生活知」とのバランスは,新しい大学の教育課程を考える上でも大変なヒントを与えてくれるし,p.111『「行動」「気づき」「受容」かセレンティピティを高める』に書かれていることは,新大学の構想をみなで考えたり行動することに対して,あるいは新しい分野に踏み出すことに対して大きな勇気を与えられた思いである。

*1:前の記事と関係するが,同学会は1992年に第64秋季年会が新潟大学で開催されたときに参加・発表目的で入会したものである。

*2:2006/01/08に書いた「科学技術社会論の技法」の著者のお一人でもある